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札幌地方裁判所 昭和40年(ワ)1131号 判決

原告 金井威憲

右訴訟代理人弁護士 萩原剛

被告 相坂豊士郎

右訴訟代理人弁護士 土井勝三郎

右訴訟復代理人弁護士 岩谷武夫

主文

被告は原告に対し金七〇〇万円及びこれに対する昭和四〇年一一月一九日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り原告において金二〇〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の申立

一  原告

「被告は原告に対し金一、四〇〇万円及びこれに対する昭和四〇年一一月一九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決。

第二請求原因

一  原告は、昭和四〇年七月二三日被告から別紙物件目録記載の土地建物(以下「本件土地」「本件建物」という。)を代金三、〇〇〇万円とし、同日手附金七〇〇万円を支払い、残金は被告が原告に対し昭和四〇年九月三〇日までに本件土地建物を明渡しかつ所有権移転登記手続を完了すると同時に支払うとの約で買受け(以下「本件売買契約」という。)、右約旨により同日被告に対し手附金七〇〇万円を支払った。

二  1 しかるに、原告は、同年七月二七日被告より「本件土地建物は他へ売却すれば金八、〇〇〇万円の価格がつく。原告に対する売買価格は低廉に過ぎるから札幌市北一条西二六丁目所在の被告所有の家屋をも含めて一括して高値で買取ってもらいたい。」旨の申入を受けたので、これを拒絶したところ、被告は原告に対し「右要求を原告が受容れなければ被告は本件売買契約を解除する。」旨の合意解除の申込をした。

2 原告は本件売買契約締結直後調査したところ、本件建物敷地である本件土地のうち被告名義のものは別紙目録(一)記載の土地(以下「本件土地(一)」という。)のみで同(二)記載の土地(以下「本件土地(二)」という。)は他人名義となっているため、本件土地全部について被告の明渡及び所有権移転登記義務が履行されるかどうか不安になった。

3 本件売買契約書によれば、被告は原告に対し契約成立後六〇日以内に本件土地建物の図面を交付すべきことが定められているのにこれを履行せず、また、履行期に至るも本件土地建物の明渡及び所有権移転登記義務履行の準備すらしない。

4 かくて、原告は被告に本件売買契約を履行する意思がないものと判断し、前記1による被告の解約申入を承諾することとした。その後、被告は本件土地建物を第三者に売却し、原告に対する履行を不能ならしめた。しかして、本件売買契約書第八条には「本契約の当事者の一方が本契約の諾条項に違背したときは、その相手方は、何等の催告を要せずして本契約を解除することができる。」旨、第九条には「前条に定める契約解除が売主の義務不履行に基くときは、売主は既に受取った手附金の倍額を買主に支払わなければならない。」旨規定されており、本件において原告は第八条による売主である被告の債務不履行を理由とする契約解除の意思表示をしていないが、前記のように売主である被告がなんら理由なく売買契約履行の意思のないことを表明し、また、現にこれを履行することなく第三者へ本件土地建物を売却したような場合は、第八条による解除がなされたと同視し、原告は被告に対し第九条により既に支払った手附金七〇〇万円の倍額である金一、四〇〇万円の支払いを請求する権利があるものといわなければならない。

三  仮に、前記二の主張が理由がなく本件売買契約が通常の合意解除となんら変るところがないとしても、また、被告主張のように本件売買契約が原告の債務不履行を理由として解除されたとしても、解除に伴う原状回復として、被告は原告に対し少くとも既に受領した手附金七〇〇万円を返還する義務がある。

四  よって、原告は被告に対し手附金の倍額に相当する金一、四〇〇万円(又は手附金に相当する金七〇〇万円)及びこれに対する解除後である昭和四〇年一一月一九日以降完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する認否および被告の主張

一  請求原因に対する認否

請求原因一の事実は認める。同二の1の事実のうち被告が原告と昭和四〇年七月二七日原告主張の建物につき売買交渉をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。同2の事実のうち本件土地のうち本件土地(一)が被告の所有名義であり本件土地(二)が他人の所有名義であることは認めるが、その余の事実は否認する。同3の事実は否認する。同4の事実のうち本件売買契約書第八条及び第九条の規定内容は認めるが、その余の事実は否認する。同三の事実は否認する。

二  被告の主張

1  被告は合意解除の意思表示はしていない。

被告は本件建物において映画館を経営していたが、経営不振に陥ったので、原告に本件建物及びその敷地である本件土地を売渡すことにした。そこで、被告は昭和四〇年九月三〇日の履行期に確実に明渡及び移転登記義務を完了すべく

(一) 同年九月二九日右映画興業を廃止した。

(二) 同日本件建物二階に居住していた被告長女夫婦とその子二人を札幌市北二六条西二丁目に転居せしめた。

(三) 同日本件土地(二)の上に存する建物に居住していた被告の二男夫婦を室蘭市知利別二丁目一八番地の借家に転居せしめた。

(四) 本件建物には北洋相互銀行を権利者とする抵当権設定登記が経由されていたが、履行期までにその抹消登記手続をした。

この事実と後記2の事実を併せ考えれば、被告が原告主張のような合意解除の申込をしていないことは明らかである。

2  本件売買契約は原告の債務不履行により解除された。すなわち、原告は同年九月三〇日の履行期に売買代金の支払をしないばかりかその支払いにつき一年間の猶予を求めたが、被告はこれを拒絶し同年一〇月一三日発信の内容証明郵便を以て、原告に対し同月三〇日までに残代金二、三〇〇万円の支払債務を履行すべきことを催告し、右期日までに履行がなければ本件売買契約は解除される旨の停止条件付解除の意思表示をなし、右郵便はその頃原告に到達した。しかるに、原告は催告期間内に残代金の支払をしなかったので、本件売買契約は原告の右債務不履行により同日解除となった。

3  被告には手附金返還義務はない。その理由は次のとおりである。

(一) 本件売買契約は売主たる被告の債務不履行により解除されたものではないから、被告は本件売買契約書第九条による手附金倍額返還の義務を負わない。

(二) 本件売買契約が買主である原告の債務不履行により解除された場合は、売主である被告の債務不履行により契約が解除された場合に被告が手附金の倍額を返還しなければならないとされていること(契約書第九条)と対比すれば、被告は全く手附金返還義務を負わないと解するのが公平の理念に合致するし、本件売買契約締結当時原告もそのことを認めていた。

(三) 仮に(二)の場合において被告が手附金返還義務を負うとしても、前記2のとおり被告が原告に対し履行の催告をしたにもかかわらず原告はこれに応じなかったのであるから、この時点において原告は手附金返還請求権を放棄した。

第四被告の主張に対する原告の認否

第三の二の1の事実のうち被告が解除の意思表示はしていなかったという部分は否認し、その余の事実は不知。同2の事実のうち、原告が被告主張の内容証明郵便を受領したこと及び昭和四〇年一〇月三〇日までに残代金支払を為さなかったことは認めるが、その余の事実は不知。同3の事実は否認する。

第五証拠≪省略≫

理由

一  本件売買契約の締結及び手附金七〇〇万円の交付に関する請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二  原告は本件売買契約は被告の申込によって合意解除された旨主張し、≪証拠省略≫中には右主張に符合するかの如き部分が存する。しかし、≪証拠省略≫を総合すれば、本件売買契約成立後の昭和四〇年七月二六日、被告は原告を札幌市内の料理店「雅叙園」へ招待したが、席上、原告は被告が札幌市北一条西二六丁目所在の被告所有の家屋を売渡す意向があることを知り、翌二七日右家屋の下見に赴いたが、価格の点で双方の意見が一致せず、結局右家屋についての売買は成立しなかったこと(右家屋につき売買交渉がなされたことは当事者間に争いがない)、その際被告は原告が申出た価格と自己の希望する価格との差が余りに大きかったので、立腹し、原告に対し「朝鮮人は信用できない。」とか「もうやめた」(右家屋を原告に売渡すことを「やめた」という意味)との趣旨の発言をしたが、妻から非礼をとがめられ、直ちに原告に謝罪した事実が認められるにとどまり、原告主張のように同日右売買交渉に関連して被告が本件売買契約の合意解除の申込をなしたものとまで認めることはできず、この点に関する前掲証拠はいずれも措信することができない。また、≪証拠省略≫によれば、被告は本件売買契約(本件土地(二)は被告の長女の夫古川貞夫名義に登記されているが、実質は被告の所有であり、古川も売買を了承していた)による土地建物の明渡及び所有権移転登記義務履行のためその主張のような準備行為(事実摘示中第三の二の1に列記された行為)を完了し、いつにてもこれを履行できる態勢にあったことが認められるのであり、この事実によっても、被告が原告主張のような合意解除の申込をしていないことが裏付けられる。

三  次に≪証拠省略≫によれば、被告は、前記のとおり原告に対する本件土地建物の明渡及び所有権移転登記義務履行のための準備を完了し、履行期の昭和四〇年九月三〇日古川貞子、相坂豊和を代理人として移転登記に必要な書類を整えて札幌法務局室蘭支局に出頭させたこと、しかし、原告は同支局に出頭しないで被告方を訪れ、同日支払予定であった本件売買残代金金二、三〇〇万円の支払を一年間猶予されたい旨の申込をしたが、被告はこれを拒絶し、同年一〇月一三日発信の内容証明郵便を以って原告に対し同月三〇日までに残代金金二、三〇〇万円の支払債務を履行すべきことを催告し、右期日までに履行がないときは本件売買契約は解除される旨の停止条件付契約解除の意思表示をなし右郵便はその頃原告に到達したが原告からの支払がなかったこと、(右郵便の発信及び到達並びに原告が残代金を支払わなかったことは当事者間に争いがない)がみとめられる。この事実によれば、本件売買契約は原告の債務不履行により昭和四〇年一〇月三〇日の経過と共に解除されたものと認めるのが相当であ(る。)≪証拠判断省略≫

四  そこで、このように本件売買契約が買主である原告の債務不履行によって解除された場合の原告の手附金返還請求権の有無を検討する。

本件売買契約においては、「契約当事者の一方が契約の諸条項に違背したときはその相手方はなんらの催告を要せずして契約を即時解除することができる。」旨(成立に争いのない甲第一号証の契約書第八条)及び「契約解除が売主の義務不履行に基づくときは売主は既に受取った手附金の倍額を支払わなければならない。」旨(同第九条)の特約が存することは当事者間に争いがなく、特段の事情の存しない本件では第九条は売主が支払うべき損害賠償額を予定したものと推定される。しかし、前記のように買主である原告の債務不履行により契約解除となった場合につき既に支払われている手附金の返還又は損害賠償額の予定に関する特段の定めをしたものと認むべき証拠はない。

この場合売主の債務不履行による契約解除に関する前記第九条の適用がないことは明らかであるが、被告は、同条との対比において売主は既に受領した手附金全額を返還することを要しないと解するのが公平の理念に合致する旨主張する。なるほど、売主買主間の形式的外観的な公平を維持するという意味では、そのように解することも一理なしとしない。

しかしながら、特定物たる不動産の売買にあっては、売主の負担する物件引渡及び所有権移転登記義務と買主の代金債務を全く同列に論ずることは相当でない。すなわち、売主の債務は不代替的であり、もし二重売買などにより履行不能に陥れば買主としては契約の目的を達成することができず、また、同種の不動産を他から入手することも困難であって、たかだか不十分ながら金銭賠償で満足するほかない。これに対し、買主の代金債務は金銭債務であって履行不能ということはなく、たといそれが遅滞したとしても売主は金銭賠償を得ることによってその損害を償うことができる。このように、両者の債務を比較すると、いずれにしても金銭債務を負担するに過ぎない買主より、本来の債務につき不代替的債務を負担する売主に対し確実な履行が強く要請されるのであり、そのため、売買当事者間で売主についてのみ不履行の際に負担すべき損害賠償額を予め高額に定めておくということは十分合理性があるものとして首肯することができる。

これを本件についてみると、売買目的物は別紙目録記載のとおり建物はかつて映画館であった木造亜鉛メッキ鋼板一部鉄筋コンクリート二階建一階三四四・三九平方メートル二階二九・五八平方メートルであり土地(敷地)は五五〇・四四平方メートルにおよびその規模面積からみて売主の履行を確保すべき要請は少くないものと認められ、かつ、代金三、〇〇〇万円の本件売買契約において手附金として授受された金額が金七〇〇万円であることを考えれば、当事者は契約書第九条において売主の債務不履行による解除の場合に損害賠償として手附金の倍額金一、四〇〇万円を返還する旨のいわば片面的な約定のみをなし、買主の債務不履行による解除の場合の手附金の返還及び損害賠償に関しては特段の約定をせず民法の解除及び損害賠償に関する一般原則に委ねたものと解するのが相当である。

この理によれば、本件売買契約は原告の債務不履行により解除されたが、被告はその原状回復義務の履行として既に受領した手附金七〇〇万円を返還する義務があるものといわなければならない。

なお、被告は本件売買契約当時原告の債務不履行により契約解除となった場合被告が手附金返還義務を負わないことを原告が認めていた旨主張し、被告本人尋問の結果(第二回)中にもこれに符合するが如き部分も存するが、たやすく措信することができないから、右主張は理由がない。更に、被告は原告が本件手附金返還請求権を放棄した旨主張するが、これを認むべき証拠はない。

五  よって、原告の本訴請求中被告に対し本件手附金七〇〇万円及びこれに対する本件売買契約解除後である昭和四〇年一一月一九日より完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める部分は正当であるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、担保を条件とする仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞)

〈以下省略〉

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